「いい白身がないなぁ」
豊洲市場を歩きながら、鉄春さんがぽつりと言う。
——え? あそこにいいヒラメあるじゃないですか?
「そうだね。ちょっと見てみるね」
鉄春さんはヒラメの頭側に手を入れる。
目の後ろあたり。
軽く持ち上げるような感じ。
押すわけじゃない。
指先で“サッ”と撫でる。
ほんの一瞬。
——え?何見てるんですか?
「身の厚みと状態かなぁ」
「なんだろう、ちょっとふわっとするんだよね」
——ふわっと?
「鮮度はいいんだよ。ぬめりもあるし、締めたてなんだろうね」
見た目はかなり綺麗。
正直、僕なら買ってしまう。
でも、鉄春さんは少し違うところを見ていた。
「普通、市場に来る頃って、半日とか1日くらい経ってるから、ある程度、身って締まってくるんだよ」
締めたての魚は、むしろ柔らかい。
プルンプルンしてる。
でも時間が経つと、少し“パツン”としてくる。
「でもね、これ、死後硬直が始まってるわりに、身の張り、パツン感がないんだよね」
——パツン感がない?
「なんか嫌な感じがするんだよ」
——嫌な感じ?
「こういうヒラメってね、“袋”の可能性があるんだよね」
——袋?
「病気なんだと思うんだけど、身がちょっと溶けちゃうような感じになっちゃうんだよね」
——見ただけでわかるんですか?
「いや、絶対じゃない。下ろしてみないと俺もわからない」
少し笑う。
「だから難しいんだよね。何十年魚見てても、未だに失敗するから」
——じゃあ、目が澄んでるとか、エラが赤いとかじゃないんですか?
「もちろんそれも見るよ。でも、それだけでは難しい」
もしそれだけで分かったら、
「俺も“目利き絶対です!”って言えるんだけどね(笑)」
「あくまでイメージだけどね」
鉄春さんは少し考えてから言った。
「北の方のヒラメで、小さめのヒラメ。ソゲっていうタイプは、なんか微妙な時があるかな」
——ソゲ?
「小さいヒラメね」
「もちろん、いいヒラメも全然あるよ。宮城でも北海道でも、本当にいいのはいい」
ただ、
「なんとなく気になる時があるんだよね」
逆に、
「西のヒラメの方が、なんかいいイメージあるんだよね」
——西?
「熊本とか、鹿児島とか。長崎とかね」
「ただ最近は、そっちのヒラメ自体が少ないんだよね」
——獲れない?
「そうだね。去年はあんまり獲れてなかったね」
少し考えてから続ける。
今年は獲れるといいなぁ
そう言ってまた他の白身を探し始めた。
その日鉄春さんが買った白身はキントキダイとメバルだった。

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